主催者を代表して古賀連合会長は「北方四島の不法占拠から69年が経つ。日ロ交渉はウクライナ情勢の緊迫化で交渉の先行きが不透明になっている。そんな中、連合は、“関係団体とより戦略的な協議をしながら、北方四島交流(ビザなし交流)を進めていくこと”と、“択捉島内に残存する日本建築物の保存と再建を進めること”を中心に運動を展開する」と挨拶した。
元島民の訴えでは、元色丹島々民の得能宏さんが「過去には北方領土返還のチャンスが幾度かあった。だが、その度に私たちは希望と失望を繰り返してきた。そんな中、日ロ会談に大きな期待を寄せている。元島民の課題は、皆が高齢になり、年々亡くなる方々が多くなっている今、後継者にこの問題を伝えていくことだ。こうした活動は元島民だけの運動ではなく、日本国民みんなの運動だ」と語った。
集会の最後には「本行動を通じて得たものをそれぞれの地域や職場で共有し、今後も北方四島の早期返還に向け、返還運動に粘り強く取り組む」とする集会アピールを採択し、団結ガンバローを三唱して全ての日程を終えた。
平和行動in根室の2日目には、「北方領土の返還を求める連合シンポジウム」が根室市総合文化会館で行われた。本シンポには752名が参加し、北方四島の現状と課題に聞き入った。
開会にあたって古賀連合会長は「北方領土問題の正しい知識を職場で広め、国民運動とすること。そして、それを背景に政府の外交を支援、後押ししながら、早期解決を求めていこう。本シンポジウムをきっかけに次世代を担う若者の将来につながるものにしていきたい」と挨拶した。
続いて、第一部基調講演として、徳能宏さん(色丹島出身)から「元島民からの訴え」と題する基調講演が行われた。この中で得能さんは、「敗戦後2週間余りでソ連が北方領土に進出してきた。私たちが学校の教室で算数の授業を受けてきたとき、突然、教室に侵入してきて非常に怖かった。だが、学校の先生は気丈にも算数の授業を続け、生徒を当てて答えを黒板に書かせたが、その答えが間違っていた。すると、ソ連兵がその間違いを訂正した。その時、ソ連の人も同じ算数を学んでいるのかと皆が思い、場が和んだ」とソ連占拠当時の状況を回想した。また、「緊迫した状況の中、次々と島民は脱出しだしたが、残った島民は3年ほどソ連軍人やその家族たちと同じ島に住んでいた。そんな状況の中、両国の子どもたちは大人とは違う世界観で交流する生活を送っていた」とあまり知られていない混住の事実も語った。返還運動に関しては、「北方四島は単にそこにあるということだけではなく、先人が苦労して開拓した歴史的事実がある。だからこそ、日本の固有の領土であり財産だということをかみしめて、多くの人たちにこの事実を広めながら運動を進めよう」と訴えた。
第二部のパネルディスカッションでは、?)児玉泰子(北方領土返還要求運動連絡協議会事務局長)、?)石川一洋(日本放送協議会解説委員室解説委員)、?)本間浩昭(毎日新聞社記者・北の海の動物センター理事)、?)西田裕希(国後島元島民三世)をパネラーにそれぞれの立場から報告・提起を受けた。
パネルディスカッションを全体集約した本間毎日新聞社記者からは、「北方四島は、乱開発で自然が壊される可能性が大きい。そんな中、領土問題という壁を挟んで、日ロがお互い将来に向けて手を握れるのかどうかということがいま問われている。“領土の広さ”ということも大切だが、それ以外の環境問題などプラスαの課題を含んだことも考えていくべきではないのかとの思いがある。そのためには、今までの考え方をコペルニクス的に転換することが必要ではないか」と提起した。そのうえに、現在の日本を取り巻く「領土問題」について「北方領土問題をはじめ、尖閣諸島問題、竹島問題など日本の周辺地域が紛争の発火点になっている。これではダメだ。地域の平和的なあり方を考えるような柔軟な発想が必要だ。そうしたことを具体化する将来ビジョンが私たちには求められている」と、日本周辺の領土問題に踏み込んだ問題提起を含む集約が行われ、シンポジウムを終えた。